NIKE ナイキ SQ サスクワッチ SUMO フェアウェイウッド FW と NGS マッハラインプロ80FW フェアウェイウッド リシャフト
[2009年07月03日(金)]
ゴルファーなら一度はプレーしたい川奈です
創設者 喜七郎氏は麻生・鳩山お坊ちゃまを
遥かに凌ぐスーパーお坊ちゃま
ハイソな感性と父 喜八郎氏の莫大な資金を
投じた国内随一のリゾート・ゴルフコース
ココポチ
ナイキ SQ FW
軽くて軟らかくて右に左に曲がります
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大倉喜八郎に学ぶ経営理念
周知のごとく、他の政商に同じく、軍御用達商人として財を成した。
しかし、喜八郎の理念は同業他社とは異なっていた。(鶴彦翁=喜八郎)
故安田善次郎翁が銀行一方で行ったのに対し、大倉喜八郎翁は事業一方で終始した。又いやしくも富豪と名のつくほどのものは総て銀行を持っているに、そしてその銀行を持つことを蔵でも立てるつもりで居り又それを利用して事業資金を得ることとしているに反し、独り鶴彦翁は一切銀行を持たぬことを信条として来た。
しからば何故鶴彦翁は銀行を持たぬか、翁か七十七の祝の時大倉組内部において、一大大倉銀行を設立する案を立て、それを鶴彦翁に持出したものである。すると翁は『いや事業をするものが銀行を持ってはならぬ。事業が何時も甘く行けば良いが、そうでないと多数の預金者を殺すようになる、そう云う例はいくらもある』と云って断然しりぞけて了った。之は表面のことでその根本の理由は翁が本当の事業家であって、銀行家でなく銀行の如き仕事を好まぬからである。実に鶴彦翁は、日本が持つ処の最大の銀行家故善次郎翁に対し良きコントラストを為す最大の事業家なのである。
多くの富豪は金を貯めるために事業をするが、翁は事業そのものに最終目的を置いている。三菱の如きがその基礎を日本郵船の前身を中心とする海運業によって築いたに拘らず、世界大戦中、郵船株が暴騰するや、その大部分を売放って利益を収め、今日の如く郵船がどうなろうとかまわぬと云うのとは違う。三菱のこの営利主義に対しては郵船総会において鶴彦翁が事業主義の立場から酷く難詰したことがある。実に翁は事業に徹底したゆい一者である。
鶴彦翁が明治五年洋行し、六年大倉組商会を起し、七年日本のたれよりも早くロンドンに支店を設け貿易を始めて以来、翁が関係し守立てに骨折った会社がざっと六十ある。殊に翁が最も力を注いだものは、支那における事業である。元来対支事業と云えば直に大倉そのものを意味する如く、口に日支経済親善を唱えるものは、ほうきではくほどあるがその実行において大倉の前にはぐうの音も出ぬ。
この対支事業は翁の終始一貫した計画。翁は日本人が大いに働く為には、雨の中でもぬれぬような毛製のものを着なければならぬと云うことを不□したことで感じ、翁が最初洋行した時先ず製じゅう機械を輸入し製じゅう所を設けるつもりであった。其計画を政府が知って横取りしてやったのが千住製絨所である。
然るに此の製絨事業を独立完成せしむるには、羊毛をうんと必要とする。然して今翁は蒙古に四国ほどの土地を借先ず米をつくると云うことを実行しているが、実は米をつくる農家をしてめん羊を飼育し、羊毛を得ると云う翁の事業界における最初の目的を達する遠大な計画なのである。この遠大な計画は之を営利主義の上から云うと甚だ危険のものである。しかるに翁が米寿の祝を為し隠退した後、多数の反対あるに拘らず、おれは金を持って死にたくない此事業は是非やると云って惜気もなく投ずる処は、翁が守銭奴でなく本当の事業家であるからである。
ただ余りに事業に熱中する処から道徳的に非難され実際ありもしなかった石のかん詰事件を何時までも一般に信せしめている。しかし翁は一面においてあれ程大げさに米寿の祝いをやり又は大礼服を着てうれしがったりする稚気満々の名誉慾があるので、男爵がもらえるなら何程でも金を出すと云うように安田翁と違って金を散ずるから、余程社会と調和がとれて行く。
それに何度も辞表をたたきつけたゼントルマン門野君を、泣いて引とめ、対外的にも対内的にも良き調和者としているので、大倉が円満に保たれる。しかしその門野君にさえ鶴彦翁借金の日歩まで干渉する専制君主であったから、門野君を除くと大倉も人物せきりょうりょうたるものである。今のうちに人物養成をせぬと安田の二の舞を演ずるようなことがないと限らぬ。
東京朝日新聞 1925.9.8
この記事が掲載され2年後、未曾有の金融危機が現実化する。
銀行を設立していれば、多大な損失は回避できなかったであろう。
ということは、大島コースも富士コースも開発されていない。
あぁ、良かった!!
写真は川奈ホテル富士コースで行われた”スポニチゴルフサーキット”予選グロス6位通過されたストーンリバーさんからお借りしました。
決勝頑張ってください。→ いつかはパープレイ
しかし、喜八郎の理念は同業他社とは異なっていた。(鶴彦翁=喜八郎)
故安田善次郎翁が銀行一方で行ったのに対し、大倉喜八郎翁は事業一方で終始した。又いやしくも富豪と名のつくほどのものは総て銀行を持っているに、そしてその銀行を持つことを蔵でも立てるつもりで居り又それを利用して事業資金を得ることとしているに反し、独り鶴彦翁は一切銀行を持たぬことを信条として来た。
しからば何故鶴彦翁は銀行を持たぬか、翁か七十七の祝の時大倉組内部において、一大大倉銀行を設立する案を立て、それを鶴彦翁に持出したものである。すると翁は『いや事業をするものが銀行を持ってはならぬ。事業が何時も甘く行けば良いが、そうでないと多数の預金者を殺すようになる、そう云う例はいくらもある』と云って断然しりぞけて了った。之は表面のことでその根本の理由は翁が本当の事業家であって、銀行家でなく銀行の如き仕事を好まぬからである。実に鶴彦翁は、日本が持つ処の最大の銀行家故善次郎翁に対し良きコントラストを為す最大の事業家なのである。
多くの富豪は金を貯めるために事業をするが、翁は事業そのものに最終目的を置いている。三菱の如きがその基礎を日本郵船の前身を中心とする海運業によって築いたに拘らず、世界大戦中、郵船株が暴騰するや、その大部分を売放って利益を収め、今日の如く郵船がどうなろうとかまわぬと云うのとは違う。三菱のこの営利主義に対しては郵船総会において鶴彦翁が事業主義の立場から酷く難詰したことがある。実に翁は事業に徹底したゆい一者である。
鶴彦翁が明治五年洋行し、六年大倉組商会を起し、七年日本のたれよりも早くロンドンに支店を設け貿易を始めて以来、翁が関係し守立てに骨折った会社がざっと六十ある。殊に翁が最も力を注いだものは、支那における事業である。元来対支事業と云えば直に大倉そのものを意味する如く、口に日支経済親善を唱えるものは、ほうきではくほどあるがその実行において大倉の前にはぐうの音も出ぬ。
この対支事業は翁の終始一貫した計画。翁は日本人が大いに働く為には、雨の中でもぬれぬような毛製のものを着なければならぬと云うことを不□したことで感じ、翁が最初洋行した時先ず製じゅう機械を輸入し製じゅう所を設けるつもりであった。其計画を政府が知って横取りしてやったのが千住製絨所である。
然るに此の製絨事業を独立完成せしむるには、羊毛をうんと必要とする。然して今翁は蒙古に四国ほどの土地を借先ず米をつくると云うことを実行しているが、実は米をつくる農家をしてめん羊を飼育し、羊毛を得ると云う翁の事業界における最初の目的を達する遠大な計画なのである。この遠大な計画は之を営利主義の上から云うと甚だ危険のものである。しかるに翁が米寿の祝を為し隠退した後、多数の反対あるに拘らず、おれは金を持って死にたくない此事業は是非やると云って惜気もなく投ずる処は、翁が守銭奴でなく本当の事業家であるからである。
ただ余りに事業に熱中する処から道徳的に非難され実際ありもしなかった石のかん詰事件を何時までも一般に信せしめている。しかし翁は一面においてあれ程大げさに米寿の祝いをやり又は大礼服を着てうれしがったりする稚気満々の名誉慾があるので、男爵がもらえるなら何程でも金を出すと云うように安田翁と違って金を散ずるから、余程社会と調和がとれて行く。
それに何度も辞表をたたきつけたゼントルマン門野君を、泣いて引とめ、対外的にも対内的にも良き調和者としているので、大倉が円満に保たれる。しかしその門野君にさえ鶴彦翁借金の日歩まで干渉する専制君主であったから、門野君を除くと大倉も人物せきりょうりょうたるものである。今のうちに人物養成をせぬと安田の二の舞を演ずるようなことがないと限らぬ。
東京朝日新聞 1925.9.8
この記事が掲載され2年後、未曾有の金融危機が現実化する。
銀行を設立していれば、多大な損失は回避できなかったであろう。
ということは、大島コースも富士コースも開発されていない。
あぁ、良かった!!
写真は川奈ホテル富士コースで行われた”スポニチゴルフサーキット”予選グロス6位通過されたストーンリバーさんからお借りしました。
決勝頑張ってください。→ いつかはパープレイ
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