なぜ石川遼を応援するのか
2009年11月23日(月)
まずは業務連絡。伊達さん、BBSが現在メンテナンス中で書き込みができないため、ご返事は少々お待ち下さいますようお願い申し上げます。
では本題。
最近、石川遼について否定的な二ュースやコメントが増えているような気がする。
曰く、「ミスショットの後で鬼の形相でクラブをたたきつけそうになった」「(心ない)ナイスパーのかけ声に『ナイスパーじゃねえよ』とつぶやいた」「明らかなミスショットにナイスショット!と声をかけられた事に対し、いらだちを隠せない」等々・・・
まあ出る杭は打たれるし光が強すぎると影もまた濃くなるのは当然であり、熱狂的なファンがいる事は即ち熱狂的アンチ遼がいても不思議がないわけだし、この揺り戻しは当然と言えば当然ではある。
特に彼の場合、「ハニカミ」という爽やか路線でスタートさせられてしまったため、世間は当然のようにそのイメージで彼を見る。しかしまだ高校生の彼が100%爽やかで人間ができている訳もなく(当たり前である)、だんだん世間のイメージと自分との乖離が大きくなってきて苦しんでいるのは間違いないと思われる。
そんな中で、彼は本当によく頑張っていると思う。忍耐力が人並み外れているのだろう(だからゴルフでも成功したんだろうけどね)、とにかく並みの高校生なら、いや大人でもこれだけ肉体的、精神的にきつい状況に追い込まれれば壊れてしまっても不思議ではない。
よって、出てきた時からのアンチならともかく、最近の批判的記事に対し「生意気になった」「偉そうだ」「勘違いしている」「いい気になっている」と手のひらを返したように批判するのは如何なモノかと思う。じゃあお前が18の時にああいう状況に置かれたらどうなんだよ、彼より立派な行動が取れるのかよ、と問いたい。
特に池田勇太という、正反対のキャラが出てきて対比されるようになってからこの傾向は強い気がする。遼の優等生的な言動(でも、彼もすき好んでやっているわけではないのだ)がわざとらしい(当たり前である。彼は大人だから、努力して「石川遼」を演じているのだ)と感じる人が、「池田勇太はやんちゃだけど正直っぽくて良い」と言い、「それに比べて遼は・・・」と言い出したのだ。
馬鹿言っちゃあいけない。言っちゃあナニだが、池田と石川では背負っているモノがそもそも違うのだ。池田は魅力的で素晴らしいキャラの持ち主であるが、残念ながら主役にも主人公にもなれない(ここで言う主人公とは国民の期待を一身に背負い、いつも注目されるその世界での第一人者という意味ね)。石川のライバルとしての立ち位置は一生ついて回るだろう。
しかし、池田はそれを悲しいとも辛いとも思っていないはずだし、だからこそ自由で正直な、彼らしい振る舞いができるのである。逆に彼が主人公になり、その立ち位置での言動を期待されたら彼は窮屈でゴルフどころではなくなるだろう。
一方の石川は、マンシングで優勝したあの16歳の瞬間にスーパースターとして茨の道を歩む運命に捉えられたのである。それはいつもスポットライトが当てられる素晴らしくも美しい道ではあるが、同時に孤独で険しすぎる道でもあるのだ。
だから、やっぱり私は石川遼を応援するのである。
では本題。
最近、石川遼について否定的な二ュースやコメントが増えているような気がする。
曰く、「ミスショットの後で鬼の形相でクラブをたたきつけそうになった」「(心ない)ナイスパーのかけ声に『ナイスパーじゃねえよ』とつぶやいた」「明らかなミスショットにナイスショット!と声をかけられた事に対し、いらだちを隠せない」等々・・・
まあ出る杭は打たれるし光が強すぎると影もまた濃くなるのは当然であり、熱狂的なファンがいる事は即ち熱狂的アンチ遼がいても不思議がないわけだし、この揺り戻しは当然と言えば当然ではある。
特に彼の場合、「ハニカミ」という爽やか路線でスタートさせられてしまったため、世間は当然のようにそのイメージで彼を見る。しかしまだ高校生の彼が100%爽やかで人間ができている訳もなく(当たり前である)、だんだん世間のイメージと自分との乖離が大きくなってきて苦しんでいるのは間違いないと思われる。
そんな中で、彼は本当によく頑張っていると思う。忍耐力が人並み外れているのだろう(だからゴルフでも成功したんだろうけどね)、とにかく並みの高校生なら、いや大人でもこれだけ肉体的、精神的にきつい状況に追い込まれれば壊れてしまっても不思議ではない。
よって、出てきた時からのアンチならともかく、最近の批判的記事に対し「生意気になった」「偉そうだ」「勘違いしている」「いい気になっている」と手のひらを返したように批判するのは如何なモノかと思う。じゃあお前が18の時にああいう状況に置かれたらどうなんだよ、彼より立派な行動が取れるのかよ、と問いたい。
特に池田勇太という、正反対のキャラが出てきて対比されるようになってからこの傾向は強い気がする。遼の優等生的な言動(でも、彼もすき好んでやっているわけではないのだ)がわざとらしい(当たり前である。彼は大人だから、努力して「石川遼」を演じているのだ)と感じる人が、「池田勇太はやんちゃだけど正直っぽくて良い」と言い、「それに比べて遼は・・・」と言い出したのだ。
馬鹿言っちゃあいけない。言っちゃあナニだが、池田と石川では背負っているモノがそもそも違うのだ。池田は魅力的で素晴らしいキャラの持ち主であるが、残念ながら主役にも主人公にもなれない(ここで言う主人公とは国民の期待を一身に背負い、いつも注目されるその世界での第一人者という意味ね)。石川のライバルとしての立ち位置は一生ついて回るだろう。
しかし、池田はそれを悲しいとも辛いとも思っていないはずだし、だからこそ自由で正直な、彼らしい振る舞いができるのである。逆に彼が主人公になり、その立ち位置での言動を期待されたら彼は窮屈でゴルフどころではなくなるだろう。
一方の石川は、マンシングで優勝したあの16歳の瞬間にスーパースターとして茨の道を歩む運命に捉えられたのである。それはいつもスポットライトが当てられる素晴らしくも美しい道ではあるが、同時に孤独で険しすぎる道でもあるのだ。
だから、やっぱり私は石川遼を応援するのである。
