知覧特攻平和会館。
2010年12月28日(火)
ずっと来たいと思ってました。
宮崎市内から2時間程だと言うのでくにが連れて行ってくれました。

資料館内は撮影できなかったのですが、特攻隊員の遺書やお手紙がたっくさん展示していました。
まず最初に鳥肌立ったのは入り口です。

「この道路が滑走路だったんです。」
ここから飛び立ったら帰って来れなかったんですね。
車で走りながらだったんで胸が痛くなりました。

道沿いに、また敷地内にはものすごい数の石の燈灯。
亡くなったみんながそこに整列してるみたいで。
そのものすごい数にまた圧倒されました。

飛行機や人間魚雷の操縦席は人がやっと1人入る大きさで本物を見たときは「これにたったひとりで乗って沖縄まで行くのか」って思うと何とも言えなくなりました。
広島の原爆資料館は原爆の怖さを伝えるために写真の被爆者の方々は本当に苦しそうなんですが、ここの写真は違います。
みんな笑顔です。
キリッとした表情で輝いてました。
ご両親、殆どはお母さんに宛てた遺書は「親孝行できなくてごめんなさい」などから「母!母!」と綴ってるものもありました。
宮崎市内から2時間程だと言うのでくにが連れて行ってくれました。

資料館内は撮影できなかったのですが、特攻隊員の遺書やお手紙がたっくさん展示していました。
まず最初に鳥肌立ったのは入り口です。

「この道路が滑走路だったんです。」
ここから飛び立ったら帰って来れなかったんですね。
車で走りながらだったんで胸が痛くなりました。

道沿いに、また敷地内にはものすごい数の石の燈灯。
亡くなったみんながそこに整列してるみたいで。
そのものすごい数にまた圧倒されました。

飛行機や人間魚雷の操縦席は人がやっと1人入る大きさで本物を見たときは「これにたったひとりで乗って沖縄まで行くのか」って思うと何とも言えなくなりました。
広島の原爆資料館は原爆の怖さを伝えるために写真の被爆者の方々は本当に苦しそうなんですが、ここの写真は違います。
みんな笑顔です。
キリッとした表情で輝いてました。
ご両親、殆どはお母さんに宛てた遺書は「親孝行できなくてごめんなさい」などから「母!母!」と綴ってるものもありました。
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