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2008年07月10日(木)

Knock On Wood


8月に全英女子オープンが開催されるロンドン郊外のサニングデールに今回コースの撮影に出かけた。

事前に撮影の許可を得てはいたが、着いてすぐにクラブハウスに支配人を訪ねて挨拶に伺った。

歴史あるメンバー・コースに関わらず支配人は快く迎えてくれた。



Sunningdaleのオールドコースは1900年に作られた



ここは日本のゴルフの歴史にとって大きな影響を残した設計家アリソンの師匠に当たるハリー・コルトが長年事務局長を務めていたコースだ。

支配人が別れ際「君、このコースで二人の日本人が優勝しているのを知っているかい?」

「83年に青木さんがヨーロピアン・オープンに優勝しましたね。私はその年にゴルフの写真を撮り始めたのですが。もうひとりは・・・申し訳ありあせん、知りません」



設計者は第1回全英オープン優勝者の息子ウィリー・パーク・ジュニア



「76年にチャコ(樋口プロ)がコルゲート・ヨーロッパ選手権に優勝しているよ」

「えっ、そうなんですか。彼女は77年に全米女子プロ選手権に日本人として初めてメジャー・トーナメントに勝ちましたが、その前年ですね。その後日本人は男女とも誰もメジャーには勝っていません」

「今年ここで日本人が勝つと良いね」

多分全英女子オープンの冠スポンサーが日本企業でもあり、リップサービスしてくれたのだろう。



歴史を感じさせるクラブハウス内




77年の全米女子プロ選手権に樋口さんが勝って以来、日本人では青木さんと岡本さんが優勝の扉をノックしたが、扉は開かなかった。

その後ジャンボさんや中嶋さん、そしてマルが挑戦したが扉は視界に入ったものの、まだ少し距離はあった。

樋口さんは70年にアメリカツーに挑戦し始めて8年目にしてメジャー・タイトルを手に入れた。

「あの頃日本で試合したくても、年間5〜6試合ぐらいしかなかったんですよ」



クラブの紋章にもなっている大きな樫の木




近年自国で試合の少ないオーストラリアやスウェーデン、そして韓国の選手たちがアメリカやヨーロッパに出かけ活躍しているのが頷ける。

今の日本の選手は恵まれすぎているのかもしれないなぁ。



このコースで3人目となる日本人優勝者が生まれるか・・・




先日今田選手が日本人3人目となる男子のPGAツアーの優勝を果たした。

藍ちゃんや桃子ちゃんも決して焦ることはない。

勝つまで扉を叩き続けよう。

そうすればいつかは必ず開くときが来る、そう信じて・・・。

Knock On Wood!!

来週から全英オープン、全英シニアオープン、全英女子オープン、全米プロと4週連続のメジャーの撮影の旅に出かけます。


2008年06月22日(日)

Amazing Grace


21世紀に入り全米ゴルフ協会はある方針転換を図った。

これまで全米オープンは伝統的で排他的な名門コースでの開催が当たり前で、ごくまれにペブルビーチのようなパブリックアクセス可能なコースもあったが、高級リゾートなのでおいそれとプレー出来るものではなかった。

そこで協会は今までは考えられなかった市民ゴルフコースでの開催に踏みきった。




トーレーパインには多くのギャラリーが集まった





その第一回が2002年に開催されたニューヨーク・、マンハッタン近郊のベスページGC.。

このコースは普段市民に開放されていて誰でも安い金額でプレーできるコースだ。

9・11の事件があった後ではあったが、普段そこでプレーしている消防士たちもギャラリーとして大会を大いに楽しんだ。



膝の痛みに耐えながらのプレーが続いた



その大成功を受けて今年の全米オープンは西海岸を代表する市民ゴルフ場トーレーパインで行われた。

このコースではよくジュニアの試合が行われており、この地区で育ったプロたちも小さい頃父親とともによくプレーした場所だ。

タイガーもその一人で色々な思い出が詰まったコースだったはず。

今回はマスターズ後に膝の手術をしてこの大会が復帰戦となった。




トーレーパインには色々な思い出が・・・





今回は予選ラウンドが地元出身のフィル・ミケルソンとのペアリングだったこともあり、異様な雰囲気の中で試合が進んでいった。

そして3日目、タイガーの膝は限界に来ていた。苦痛に耐えながらドライバーを振る。ボールは信じられないぐらい曲がったが、執念でグリーンに乗せる。そして・・・イーグル。



ゴルフの神様につつまれて




最終日18番ホールでバーディパットを決めたとき、今までに見せたこともない雄叫びをラ・ホヤの海に向かって何度も何度もあげた。

今は無き父親と幼い頃来た場所での最高のプレー。

翌日のプレーオフで勝利を収めると、あれほどプライベートな部分を出さなかったタイガーが18番グリーンでエレンからサムを受け取り抱き上げた。



この試合はいつまでも語りぐさになるであろう



父親に戻ったタイガーの顔はどこまでも優しかった。

忘れられない父の日になったなぁ。
2008年05月04日(日)

Honky Tonk Women

ビートルズがデビューした翌年、同じイギリスでひとつのバンドがデビューした。

ザ・ローリング・ストーンズ

40年以上経った今でもこの二つのバンドの音楽は幅広い層で楽しまれている。






デビューした当時ビートルズはおそろいのスーツ姿に髪型はマッシュルームカットと健全なイメージで売り出していった。

それに対してストーンズはまったく逆で、服装は統一せず着古したものを選び、髪も伸ばし放題だった。

あえて正反対のイメージで売り出した二つのバンドは,お互い個性を発揮し素晴らしい曲が次々に生まれた。







最近ゴルフ好きが集まるとよく「俺は藍ちゃんが好き」という人と「いや桃子の方が良い」という人に分かれる。

両方好きという人はほとんど無く、どちらか一方を応援している。

これはスポーツを見る上で非常に大事なことだと思うのだけれど、スポーツ観戦は贔屓を作って応援したほうが熱狂的になれて面白い。

野球やサッカー、バスケット、フットボールなどは地域を代表しているので好きなチームを決めやすいが、個人競技のゴルフなどはそれが出来ない。

どうしても見るよりもやった方が楽しいとなってしまう。








今アメリカツアーで戦っている二人はどことなく対照的なイメージがあって、それがまたイイ。

実際二人はすごく仲がよいのだけれど、ファンとしては少し意識してもらった方が嬉しいのだ。

ファンというのはそのぐらい勝手なもの。







ビートルズはマイクスタンドの前に立ったまま素晴らしいハーモニーを聞かせたが、ストンーズのミック・ジャガーは舞台を縦横無尽に歩き回りキース・リチャードはたばこを吸いながらオープンGにチューニングしたギターを掻き鳴らした。

日本ではなにかひとつ流行ると、それに続けとばかり同じようなものが売り出される。

見る側、買う側は人それどれ趣味趣向が違うのにも関わらず・・・。







大好きなストーンズの「Honky Tonk Women」を聞きながら、さて今夜は日本酒にしようか、いやワインかな。




2008年04月22日(火)

Cold Sweat

ジョージアを歌った曲には切ないものが多い。

レイ・チャールズの「Georgia On My Mind」、グラディス・ナイトの「Midnight Train To Georgia」それにブルック・ベントンの「Rainy Night In Georgia」

どれも心にグッと染みこんでくるような味わいだ。

これは深南部と言われたジョージアの歴史がそうさせているのかもしれない。

マスターズの開かれるオーガスタは深南部を代表する街で、アフリカ系アメリカ人の教会が初めて出来たのもこの街だ。





舞台の幕が開くようにコースに朝日が差し込む





極貧の家庭で育った「キング・オブ・ソウル」ことジェームス・ブラウンは幼くして叔母さんの住むオーガスタに預けられた。

父親からもらったハーモニカが唯一のおもちゃで、毎日それを吹きながら寂しさを紛らわした。





ボビー・ジョーンズは何故この地を選んだのか





オーガスタは基地の町としてでも有名で、田舎町にも関わらず慰問のためか沢山の有名ミュージシャンが演奏に訪れた。

その影響かジェームス・ブラウンはめきめき頭角を現し、「ゴスペル」から「ソウル」そして「ファンク」へと音楽の形を変えていった。





今年もパーマーのオナラリー・スタートで試合は始まった





1968年4月、非暴力での公民権運動を指導したマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された。


その日から全米各地で暴動が発生した。

キング牧師とも親交のあったジェームス・ブラウンはラジオを通じ「平静を保つことでキング牧師の名誉を称えよう」と訴えた。

そして翌日のボストンでのコンサートでもライブをテレビで生中継させ、「暴力に訴えることは彼の魂を救うことにはならない」と人々に自制するように呼びかけた。





満開の花の中、ギャラリーは至福の時間を楽しむ





黒人として差別され、時代の流れの中で闘う中で、ブラック・アメリカンの代表者の一人となった男。

一昨年暮れに73歳の生涯を閉じた。

オーガスタで行われた葬儀では街の人々が彼の残した音楽界への業績と人生を讃えて最後のお別れをした。





舞台作りに妥協を許さない




このオーガスタの街にはボクのゴルフと音楽のルーツが住みついている。

試合が終わりコースを出て、花水木の花が満開の「ジェームス・ブラウン大通り」と名付けられた道をゆっくりと車を走らせた。
2008年03月28日(金)

It Don't Mean A Thing(スウィングしなけりゃ意味がない)





大学に入学するために上京する朝、玄関先で涙ぐんでいた母親とは対照的にボクはあこがれの東京での学生生活が始まるかと思うと心は弾んでいた。


あの頃とにかく田舎を離れたい一心で、東京の学校ばかりを受験した。


初めて大学に行った日、クラブの勧誘の様々なチラシを渡される中気持ちは軽音楽部かモダンジャズ倶楽部と決めていた。










しかし中庭から聞こえてきた音にふらふらと近づいてみると、そこには4人のトランペット、4人のトロンボーン、5人のサックスそれにリズムセクションとしてドラム、ベース、ピアノ、ギターで演奏していた。


ビッグバンドジャズオーケストラは知っていたものの、今までは興味を持ってレコードを聞いたことはなかった。


春の気持ちよい日差しがさす中、知らないうちに最前列で聞き入っていた。









アンプラグドな楽器で、マイクも使わず、大編成のバンドは絶妙に音の強弱を付けながらスウィングしていた。


ボクは楽器をギターしか弾けないのだが、ボリュームのつまみが付いていない楽器を演奏する人を尊敬していた。


ピアノシモからフォルテシモまでの音の強弱を表現するには、その人の持っている感性が問われ、感性が豊かな人ほど音のダイナミックスの幅が広いと思う。









よくゴルフでもセカンドの残り距離によってビトゥーイン・クラブで悩んだり、アプローチの距離感が難しかったりする。


昔よくテレビマッチのお遊びでワンクラブマッチというようなことをよくやっていた。


一本の好きなクラブをチョイスしてスコアーを競い合うのだ。


決まってワトソンやセベや青木さんが上手かった。










彼らは嬉々としてプレーした。


技を駆使し、タッチを出し、コースを攻略するのだ。


それはスウィングの大きさだけではなく、クラブ・フェースの全てを使い、軌道をカットに入れたりフックに入れたりと自由自在だった。


感性を磨くには遊びの中から得られるものも多い。










コーチ全盛の時代、ゴルフファーはメカニズムばかりにとらわれすぎてその人の持っている感性を殺してしまっては台無しだ。


ゴルフは自然のなかで行われるゲーム。


ビッグバンドの大御所カウント・べーシーは決して早弾きのピアニストではなかったが、ポロポロと弾くプレー・スタイルは見事にバンド全体をスウィングさせた。


帰り際ビッグバンドの入会申込用紙に名前を書いたのは言うまでない。




御礼




このたび宮里藍写真展「ひとりじゃないから・・・・・・」開催期間中多くの方々に会場に訪れていただき、誠にありがとうございました。


ブログ上でも大変気持ちこもった書き込みを頂き、深く感謝いたしております。


これからもゴルフに関する写真を撮り続けて参りますので宜しくお願い申し上げます。




宮本 卓




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