マニュアルシステムの崩壊
【2009年12月11日(金)】
こちらの記事を読んで、とても面白く感じた。
そんな訳で、私も何か書いてみようと思ったのだが、題名は行き過ぎかな? とも思っている。
この記事は20年前と現在との比較を、自分の思い出を振り返る事を中心に書かれているのだが、私も20年前を思い出してみたいと思う。
その頃最初にやるアルバイトと言えば、ファーストフードだったのではないだろうか? そんな中でも、マクドナルドは 「マニュアル」 を重視したオペレーションで名を馳せていたと思う。
「マニュアル」 なんかに縛られたくないと思っていた私は、マクドナルドを選択肢に入れる事無く、クリーニング屋をアルバイト先に選んだ。
「マニュアル」 という物が世間に紹介された時、どちらかと言えば批判的に受け止められていたような気がする。
「ご一緒にポテトはいかがですか?」 と何も考えずに言わされてるとか、無機質な笑顔を振りまくといったような批判が多かったと思うし、人を育てるのにマニュアルが必要か? といった発言も多かったように思う。
しかし、マニュアルによる効率的な人材育成という利点が、結局いろんな企業がマニュアル導入を決めていった。
で、20年後の現在、「人が育たなくなった」 という風潮になったのだが、その原因は何なのだろう?
原因の究明は私なんぞの手に負えるものではないが、この20年間に顕著になった物なら心当たりがある。
それは、「教えるのが上手い人が少なくなった」 という事と、「しつこく教える人が少なくなった」 という事。
人間は真似する動物だから、教えるのが下手だという事は、上手い教え方をされてこなかったという事だろう。
天才は凡才を理解できないというが、凡才が必ずしも凡才を理解しているという事にはならず、ただ凡才は悩む事が多かったという事に過ぎない。
後輩の悩みが自分の通ってきたのと同じ悩みならば、その悩みの解消法を知っているから教える事が出来る訳で、凡才の利点は沢山の障害に蹴っ躓いてきたという事だ。
しかしマニュアルというアンチョコがあると、凡才の悩む時間が不必要に解消されてしまうのだから、同じ悩みを通過する事が出来にくくなってしまう。
20年という歳月の中で、アンチョコ片手に通り過ぎてきた人間が増えたという現実が、教えるのが下手な人の増えた原因だろう。
20年前と今とを比べて、大きく変わったのは子供達だろう。
マニュアルが導入され始めた頃の子供達と、現在の子供達とを比較してみて思うことは、社会常識を知らない子供が増えたという事だ。
「そんな事はない」 と言う人もいるだろうが、これは私の体感なので仕方がない。
マニュアルという物が、新入社員を対象に作られているとしても、新入社員自体が様変わりしている以上は通用しなくなってくる。
20年前に作られたマニュアルが、現在に比べて社会常識を持っていた新入社員向けに作られているとしたら、その前提が崩れている時点で通用しない。
逆を言うと、マニュアルは最低限の社会常識を持っている人でないと通用せず、最低限以下の社会常識しか持ってない人に対しては、新たなマニュアルを作らざるを得ないという事になるのだ。
極端な話、この20年間で崩壊した人材育成というシステムを再構築するには、最低でも40年はかかるだろう。
20年後、まだ社会常識が通用した我々が退職した後、今問題とされてる世代が中心となるのだから予想は難しくない。
それでも、今のうちから手間をかける人材育成のシステムを再構築しなければ、回復する事無く悪化の道をたどるだろう。
そして人材育成の再構築に不可欠なのは、家庭を含めた社会教育だろうと思う。
そんな訳で、私も何か書いてみようと思ったのだが、題名は行き過ぎかな? とも思っている。
この記事は20年前と現在との比較を、自分の思い出を振り返る事を中心に書かれているのだが、私も20年前を思い出してみたいと思う。
その頃最初にやるアルバイトと言えば、ファーストフードだったのではないだろうか? そんな中でも、マクドナルドは 「マニュアル」 を重視したオペレーションで名を馳せていたと思う。
「マニュアル」 なんかに縛られたくないと思っていた私は、マクドナルドを選択肢に入れる事無く、クリーニング屋をアルバイト先に選んだ。
「マニュアル」 という物が世間に紹介された時、どちらかと言えば批判的に受け止められていたような気がする。
「ご一緒にポテトはいかがですか?」 と何も考えずに言わされてるとか、無機質な笑顔を振りまくといったような批判が多かったと思うし、人を育てるのにマニュアルが必要か? といった発言も多かったように思う。
しかし、マニュアルによる効率的な人材育成という利点が、結局いろんな企業がマニュアル導入を決めていった。
で、20年後の現在、「人が育たなくなった」 という風潮になったのだが、その原因は何なのだろう?
原因の究明は私なんぞの手に負えるものではないが、この20年間に顕著になった物なら心当たりがある。
それは、「教えるのが上手い人が少なくなった」 という事と、「しつこく教える人が少なくなった」 という事。
人間は真似する動物だから、教えるのが下手だという事は、上手い教え方をされてこなかったという事だろう。
天才は凡才を理解できないというが、凡才が必ずしも凡才を理解しているという事にはならず、ただ凡才は悩む事が多かったという事に過ぎない。
後輩の悩みが自分の通ってきたのと同じ悩みならば、その悩みの解消法を知っているから教える事が出来る訳で、凡才の利点は沢山の障害に蹴っ躓いてきたという事だ。
しかしマニュアルというアンチョコがあると、凡才の悩む時間が不必要に解消されてしまうのだから、同じ悩みを通過する事が出来にくくなってしまう。
20年という歳月の中で、アンチョコ片手に通り過ぎてきた人間が増えたという現実が、教えるのが下手な人の増えた原因だろう。
20年前と今とを比べて、大きく変わったのは子供達だろう。
マニュアルが導入され始めた頃の子供達と、現在の子供達とを比較してみて思うことは、社会常識を知らない子供が増えたという事だ。
「そんな事はない」 と言う人もいるだろうが、これは私の体感なので仕方がない。
マニュアルという物が、新入社員を対象に作られているとしても、新入社員自体が様変わりしている以上は通用しなくなってくる。
20年前に作られたマニュアルが、現在に比べて社会常識を持っていた新入社員向けに作られているとしたら、その前提が崩れている時点で通用しない。
逆を言うと、マニュアルは最低限の社会常識を持っている人でないと通用せず、最低限以下の社会常識しか持ってない人に対しては、新たなマニュアルを作らざるを得ないという事になるのだ。
極端な話、この20年間で崩壊した人材育成というシステムを再構築するには、最低でも40年はかかるだろう。
20年後、まだ社会常識が通用した我々が退職した後、今問題とされてる世代が中心となるのだから予想は難しくない。
それでも、今のうちから手間をかける人材育成のシステムを再構築しなければ、回復する事無く悪化の道をたどるだろう。
そして人材育成の再構築に不可欠なのは、家庭を含めた社会教育だろうと思う。
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