WBC決勝とかけてマスターズと説く、その心は?
王勝った(オーガスタ)
マスターズが開催される
オーガスタナショナルゴルフコースはジョージア州アトランタにあります。
みなさんはアトランタと聞いて何を連想します?
コカ・コーラ、風と共に去りぬ、ボビー・ジョーンズ、キング牧師、CNN・・・。
うーんあまり思い浮かばないなあ
なので祝日に一日かけて
マスターズの開催地のジョージア州アトランタの歴史について調べました。
これから長くなりますので、歴史が好き

という方だけお付き合い下さい。
http://www.buckhead.net/history/fort-peachtree/index.htmlより写真引用
もともとアトランタやその郊外の地域は北部インディアンのチェロキー族とクリーク族が支配していてました。彼らはこの地域を"Standing Peachtree"(林立する桃の木)と呼んでいました。その後、この地域を南部政府が未開拓の西側周辺部分と交換でチェロキー族のリーダー達から譲り受けました。
1836年にジョージア評議会が中西部への交易路として西部大西洋鉄道の建設が議決されました。それゆえアトランタ周辺は終着駅という意味で”Terminus”と呼ばれました。その後Terminusは鉄道による交易の要所として町が発展していきました。また、Terminusという名前も1843年に州知事のウィルソン・ランプキンの娘にちなんで”Marthasville”と命名されました。
さらに、その名前じゃどうも商売が上手くいきそうにないなあという事で、1845年に"Atlanta"という名前になったのです。尚、このAtlantaは西部大西洋鉄道のAtlanticを女性形にした名前です。
1864年には勃発した南北戦争でアトランタは北軍の主要な攻撃目標となり、いくつかの激戦の後、北軍のウィリアム・シャーマン将軍の指示により、アトランタの公共の建物や施設は教会や病院を除いて全て焼き払われました。アトランタの陥落は北軍に自信を与え、これを境に北軍が勝利することとなりました。戦争により荒廃したアトランタの復興は容易ではありませんでしたが、1868年には5番目に大きい州都になるまで発展し、奴隷や反乱が起こる"Old South"から転換し、また重農政策から商業中心へと転換し"New South"の都市になっていったのです。
アトランタが都市として大きくなっていく一方、民族や人種の緊張が増大していきました。1906年に起こった人種暴動では少なくとも12名以上の死者と70名以上の負傷者を出しました。1913年にはアトランタのユダヤ人の鉛筆工場経営者が13歳の白人少女の従業員をレイプ殺人したという容疑で裁判になりました。彼の罪状を立証するに疑わしい証拠が発見された結果、彼は死刑から終身刑に減刑されました。これに腹を立てたKKKの連中がフランクをリンチにかけ縛り首にしてしまったのです。
1930年には大恐慌がアトランタを襲いました。市の財政は破綻寸前になりましたが、コカ・コーラが援助して膨大な負債から抜け出すことができました。
1936年には連邦政府は貧困者救済を目的としてTechWood Homesというホームレス用施設を建設しました。また、第二次大戦中、南東部諸州の兵士たちはアトランタにあるフォートマクファーソンの陸軍訓練施設で訓練を受け、戦地に旅立っていきました。アトランタ周辺のマリエッタ市の郊外では Bell Aircraft (ベル・エアークラフト)工場にみられるような軍需産業によってアトランタ市は人口と経済規模を増大していきました。
1951年、アトランタは急速な発展と高度な生活水準のおかげで”All-America City Award”(アメリカ名誉都市賞)を授与されました。
1960年代には、アトランタはキング牧師やアトランタの歴史がある黒人向けの大学や短大の大学生たちが中心になって市民権運動の主要な中心地となっていきます。
1960年10月19日、アトランタの幾つかのデパートの食堂で抗議の座り込みをしたのが原因でキング牧師と大学生数人が逮捕されました。このことは全国のメディアや大統領候補であったジョン・F・ケネディの注目の的になりました。この事件があったにもかかわらず、アトランタの政財界のリーダーたちは、アトランタを"the city too busy to hate"(忙しすぎて憎む暇もない市である)と擁護しました。一方、1961年に市長になったイバン・アレン・ジュニアはアランタのパブリック
スクールで人種差別撤廃を支持した数少ない白人の一人でもありました。しかしながら、市側は対立を避けたため、小規模の暴動が1965年と1968年に起こってしまいました。
時代はずっとさらに現代に戻り、2004年にアトランタは夏のオリンピック開催地になりましたが、セントラルオリンピックパーク爆破事件によって2人が死亡し、数人が負傷したことは私たちの記憶に新しいことと思います。実行犯はエリック・ロバート・ルドルフという人物です。
簡単ではありますが、僕がまとめるとアトランタの歴史はこんな感じです。