一昨日、
福岡市美術館にて開催中のトリノ・エジプト展を家族で見に行ってきた。
ダイジュのお昼寝タイムとかぶっていた為、少々グズリ気味の息子をKazisaiは終始、抱っこして見てまわり、会場を出るとかなり疲労困憊の様子だった。
おかげで一通り全部見ることが出来た。
ありがとうKazisai!!感想はというと・・・いや〜面白かった!元々、関心があったことも楽しかった要因だろうが、展示品の数が多く、また見せ方も趣向を凝らしていて見ごたえ有りだった。
石像や棺、レリーフの造りの精巧さや装飾の緻密さ、、自然崇拝をベースにした古代エジプト宗教の下、再生を信じて製造された、死者の書やミイラなどに見られる思想の奥深さと細密さ、、、とてつもなく高度な文明があったということは、素人目にもハッキリとわかる。
当然、死んだ人間が生き返るはずはない。
が、当時の権力者たちの莫大な財力と労力をつぎ込み、気が遠くなる程の時間を費やして、復活を信じ仰いだ心の中には、アメンやアテン、アヌビス等の神々が存在していたことは間違いない。
では、最暦2010年、古来からの宗派や新興宗教がゴチャゴチャに混在し、むしろ無宗教ともとれる今日の日本国に神はいるのだろうか?(・・・読み進めていったら勧誘にブチ当たりそうなフレーズだが、そんなんは一切無いのでご安心を。
)そんな疑問が湧いたので昨日、仕事の合間や移動中、布団の中で、自分自身を入り口に答えを探すべくスピリチュアルジャーニーをしてみた。
うちの実家は曹洞宗であり、物心ついた時から仏間には般若心経の書かれた掛け軸が掛かっている。
そしてその掛け軸の前に座り、占い師に空海の生まれ変わりと言われた(笑)、、知を耕す農家こと、オトンに般若心経の読み方と意味を延々と聞かされた。
オレが小4の時の話である。
。
オトンのことが好きだったのと、元々そういう世界に興味があったことから、あの頃は般若心経を暗記していた気がする。
おそらく、周りの友達に比べると神や仏の存在は近かった様に思う。
しかし、、いまだに般若心経を唱えることが出来るかと聞かれれば、それは全く無理な話だ。
般若心経の教えに理を感じるところは多いが、そこまでの熱心な信仰心は持ち合わせていない。
オレはクリスチャンではない。
けど、世間一般の流れにそれず、今まで(高校生ぐらいまでは特に)、バレンタインやクリスマスも
イベントの一環としてやってきたし、この先も家族行事としてやるだろう。
たまに新興宗教の勧誘の人がやって来てパンフレットを渡される。
読んでみると間違ったことは書いてないと思えるし、世界の平和を願って、実際にその思いを行動に移しているのは立派なことだと思う。
でも、入門するほど感化されることはない。
どこか一つの宗派を特別に支持することはなく、かといって無神論者ってわけでもない。
ただ、オレの心の中には、ハッキリとした呼び名や器はもってないが信仰の対象となる存在がボンヤリとある。
その例として我が家いる神々を紹介しよう。
まず最初の神、名はヤハウェという。
え?・・・何その名前?!思いっきり和のテイストですけど。
。
と皆さんの冷ややかなツッコミが聞こえてきそうなので、ネーミングの経緯を説明しよう。
出会いはオレが高校生の時で、ばあちゃんが
奈良に旅行に行った際のお土産で、厄除けにと貰ったモノだ。
あれは確か高3の春、オレとマイミクのlupinと、いつもの面々で初めてパチンコ打ちに行った時の話。
初期衝動に胸躍らせながら挑むも、ものの20分程度で全員が有り金全部なくなって、、あえなく撃沈。
。
オレの下宿先に戻り「そんな旨い話ねぇよなぁ」なんて皆で話してるとlupinが「オレ家に金取り帰って、リベンジしてくるわ!!」と立ち上がり、「おい、このヤハウェ借りてくぞ!!」と棚の上でホコリを被った仏像を手にして駆け出していった。
「え?なに・・何て言ったの。
。
」オレたちはアイツが何て言ったのかイマイチ聞き取れず、、、まぁ、そのうちフラッと帰ってくるだろう。
と、色々とくだらない事を話して盛り上がっていた。
すると1時間ぐらい経ってlupinがキレ気味で帰ってきた。
結果は雰囲気で察して、「・・・ドンマイ。
てかさっきなんて言ったと?」と訊くと、「…ヤハウェ。
。
」「ぶっ!何それ!?」とオレが吹きだしながら、尋ねると、ヤツは家から金を持ってパチンコ店に行くと、パチンコ台の前に何と、そのヤハウェを置いて神頼みをしながら打っていたらしい。
想像するにシュールすぎる光景である。
オレたちは身悶えて笑転げた。
その日からこの仏像の名はヤハウェとなった。
ちなみに今回、この日記を書くにあたってヤハウェをWikipediaで検索してみると旧約聖書の中に登場する絶対神だとあった。
・・・ヤツがそんなことを知っていたとは到底思えない。
次の神、名をバリガミさま。
ネーミングの経緯は見た目で
ピンとくると思うが、オレが
東京にいた時に仕事でバリ島ロケに行った際に買って帰ったお土産という、非常に安直なところからきてる。
バリ島一の繁華街で購入したのだが、現地人のコーディネーターが「ゼッタイ、ボラレルカラ、カイモノスルトキハ、カナラズボクヨンデ!」と忠告してくれてたが、いちいち面倒くさかったので、1人で店の人と片言の英語とジェスチャーで値段交渉して買った。
その後、スタッフと合流してお互い何を買ったのか見せ合ってるとコーディネーターが幾らだったのか訊いてきたので、答えると「・・ソレヤススギルヨ!!」と少し困惑していたのを思い出す。
そして最後の神、、、には特に名前はない。
出会いは、これも
東京にいた時である。
知ってる人もいるかと思うがオレは大の散歩好きだ。
その頃も今と変わらず、地井武男ばりに暇さえあれば散歩してた。
ある日コンパクトカメラ片手に家から少し離れた区域の住宅地の裏手、水路沿いを歩いていると、書きなぐった様な龍のグラフィティが描かれたブロック塀にもたれかかって座り、一心不乱に木に鑿を打ち付ける男がいたので、思わず反射的にシャッターを押した。
そして「すいません。
何してるんですか?」と声をかけると、坊主頭に木屑を積らせた男は「木を彫ってます。
」と穏やかな声で問いかけに答えながらオレの方を向いた。
まるで解脱してるかの様な表情をしている男の腕やタンクトップから除く胸元にはガッツリ彫り物が入っている。
只者じゃないオーラを発していた。
オレはその男に興味を持ち、腰を据えて話し込んだ。
すると、その人は気功を使ってガン患者からギックリ腰の患者から、、ありとあらゆる病を治療する気功士(?)さんらしいことがわかった。
なんでも3ヶ月前に横浜から引っ越してきたばかりで、2週間前に大型台風で家の前の水路に木が大量に引っ掛かっていたのを片付けてる最中に、「そうだ、この木を使って彫刻してみよう!」と閃いたらしく、その日から毎日彫っているとのこと。
(こりゃまた変な人に出会ったな。
)と内心思っていると、「キミも彫ってみない?」と誘われたので「是非!」とその人の隣に座り、心のままにほったのが、この名無しの神さま。
それぞれの神さまとの出会いから今に至るまで2度の引越しがあった。
ヤハウェに関しては、一番付き合いが長いのもあって6度、一緒に引越しを経験している。
名前の背景に俗にまみれたエピソードが詰まっている神や、ビックリするほど値切りされた神、自分で彫った、どの経典にも載っていない名もなき神。
この神々と共に流れてきた時間の中、その度々で事故ったり、手術うけたりと色々と災難はあったが、今日無事に幸せを感じながら生活していることに、それぞれの神さまが少なからず関係しているような気がしている。
気の持ちようだ言われれば、全くその通りだが、この気持ちこそが、信仰心だとオレは思っている。
宗教とは、人間が生きる為、そして死ぬ為の智慧として創ったルールだ。
いわば愛の導きである。
だが、宗教の歴史上では、時の支配者により生み出されたものや、政治に利用されてきて民衆を苦しめたり、宗派の違いで殺し合いが起きたりと、血塗られた悲しみが数多く存在する。
神の名の下に、別の神の子を迫害して手に入れた未来に幸せはあるのだろうか?断固ない!あるはずがない!!神はいがみ合わないし、お金も必要としないはずだ。
ナニ教でもいいし、ナント価学会でもいいし、人を殺めたりする事を推奨するような宗教でなければ何でもいい。
信じる者が愛へと導かれるのなら、その信仰の先には神がいるとオレは思う。
※自分なりに、自分らしく、そして伝わりやすく書いたつもりですが、色々と詰め込みすぎて解かりづらいものになってしまいました。
。
歴史の授業で習った程度の知識しか持ち合わせていないのに、とてもデリケートな題材をとりあげました。
そのことで、読んで気を悪くした方もいるかと思います。
すみません。
ニュースで今回のバンクーバーオリンピックにボスニア・エルツェコビナから5人の選手が出場し、激しい内戦の過去を持つ、、未だ争いの爪痕が色濃く残る母国に、、国民に、平和へと繋がる希望になるべく奮闘した。
という特集を見て、どうしても伝えたい思いが芽生えたので書きました。
国の違い、人種の違い、民族の違い、宗教の違い、、それらは全て些細なことだ。
略奪や弾圧、迫害から生まれた遺恨があるってことは知ってる。
でも、いまさらどっちが最初に手を出したとか、そんなこと言ってても問題は解決しない。
どこかでこの憎しみの連鎖を断ち切らなければ幸せな未来はやってこない。
でなきゃこの先も殺し合いは続く。
子供たちの頬をつたう涙が乾く事はない。
断ち切るのはいつか。
今に決まってる。
そんなの無知なオレだってわかる。
だからあえて言う。
国の違い、人種の違い、民族の違い、宗教の違い、、それらは全て些細なことだ。
認め合おう。
分かち合おう。
そして愛し合おう。
60億分の愛で地球を灯そう。
心から世界の平和を祈ります。