スーパースター
[2009年06月15日(月)]
三沢 光晴。
中学時代には器械体操部に所属。
高校時代には、レスリングで世界ジュニア制覇。国体にも優勝。
1984年から90年まで、二代目タイガーマスクとして活躍。
天性の運動神経、器械体操の経験、卓越したレスリング技術により「タイガーマスク」を見事に体現。
後に素顔となり、全日本のエースだったジャンボ鶴田越えを果たした後、川田・小橋・田上と四天王プロレスを展開。
全日本プロレス創始者のジャイアント馬場の提唱する「王道プロレス※」を具現化し人気を博す。
※王道プロレス
プロレスとは格闘技の中でも、単なる打撃の攻防を超越したものであり、相手の技を全て受け切った上で勝つもの、というスタイル。
なお、猪木が主催していた新日本のスタイルは、猪木が異種格闘技戦の中でプロレスが最強だと主張していたことからも分かるように、また、格闘技団体UWF(→パンクラス・リングス)を生み出したことからも分かるように、全日本と比して打撃に比重を置いたスタイルが中心だった。
中学生だった僕が心底全日本プロレスにはまったのは、この四天王プロレスのちょっと前から。
化け物のような強さを誇ったジャンボ鶴田に対し、唯一互角(言い過ぎ?)の戦いをしていたのが三沢選手でした。
当時、まだ川田や小橋は、鶴田選手が吹けば飛んでしまうような選手でした。
必死になってチョップを放っても軽く顔面蹴りで返され、「危なくないように」鶴田選手が放ったバックドロップで完全にKOされるという選手でした。
・・・田上選手は、失礼ながら「ただの付け人」というイメージ。
三沢の対ハンセン戦やスティーブ・ウィリアムス戦、後の対川田戦、小橋戦、田上戦。
三沢が死ぬんじゃないかというような強烈なラリアット、
バックドロップ、
投げっぱなしジャーマン、
垂直落下式ブレーンバスター、
超急角度のパワーボムを
何度も何度も食らいながらも立ち上がり、
最後にタイガー・ドライバーやタイガー・スープレックスで仕留める姿に、涙しながらプロレスを見ていました。
実況が「カウント2,9999!!!!」
と叫ぶほど試合を諦めない、
相手の必殺技をすべて受けきった上で、
最後の最後で勝つという王道プロレスでは、
永遠に相手が倒れないんじゃないかと思わせる時間帯があります。
「さすがに、もう限界だろう・・・」と誰もが思うようなフィニッシュホールドを食らっても、四天王は本当に何度も何度も立ち上がった。
四天王はみなゾンビのように立ち上がり、
技を出し尽くし、
死力を尽くして戦いますが、
三沢選手がそのなかで違っていたのは、
そのような極限状態で「究極の必殺技」を編み出す天才だったということです。
受け身の取れないタイガー・ドライバー(後に封印)を放ったり、一回転してエルボーを放ったり、小橋選手を花道からリング下にタイガー・スープレックスで投げたことも有りました。
あれは、極限状態の中でとっさに体が動く天才のなせる技なんだと思います。
そのような「究極の必殺技」を放つときは、
だいたい三沢選手自身も
「途中で思いついた」的なぎこちない動きをしてましたし、
相手選手も予想だにしない技に受け身が取れず、
そのまま試合終了ということが多かったと思います。
(ローリング・エルボーの初披露時が顕著でしたね・・・。)
そんな三沢選手は、人間的にも立派な人でした。
非常に義理・人情を重んじ、
誰からも信頼され、結構エロく、
歌が下手で、会社にコキ使われ、
満身創痍でもファンのためにリングに立ち続けました。
その懐の広さと器用さから、
プロレスリング・ノアの社長としても
非常に多忙な日々が続き、
プロレス人気が下火になる中で
看板選手として、社長として奮闘していました。
そんな人間的な魅力を兼ね備えた、
プロレスの天才。
僕のスーパースター。
たくさんの感動を、本当にありがとうございました。

対 田上

対 高山
中学時代には器械体操部に所属。
高校時代には、レスリングで世界ジュニア制覇。国体にも優勝。
1984年から90年まで、二代目タイガーマスクとして活躍。
天性の運動神経、器械体操の経験、卓越したレスリング技術により「タイガーマスク」を見事に体現。
後に素顔となり、全日本のエースだったジャンボ鶴田越えを果たした後、川田・小橋・田上と四天王プロレスを展開。
全日本プロレス創始者のジャイアント馬場の提唱する「王道プロレス※」を具現化し人気を博す。
※王道プロレス
プロレスとは格闘技の中でも、単なる打撃の攻防を超越したものであり、相手の技を全て受け切った上で勝つもの、というスタイル。
なお、猪木が主催していた新日本のスタイルは、猪木が異種格闘技戦の中でプロレスが最強だと主張していたことからも分かるように、また、格闘技団体UWF(→パンクラス・リングス)を生み出したことからも分かるように、全日本と比して打撃に比重を置いたスタイルが中心だった。
中学生だった僕が心底全日本プロレスにはまったのは、この四天王プロレスのちょっと前から。
化け物のような強さを誇ったジャンボ鶴田に対し、唯一互角(言い過ぎ?)の戦いをしていたのが三沢選手でした。
当時、まだ川田や小橋は、鶴田選手が吹けば飛んでしまうような選手でした。
必死になってチョップを放っても軽く顔面蹴りで返され、「危なくないように」鶴田選手が放ったバックドロップで完全にKOされるという選手でした。
・・・田上選手は、失礼ながら「ただの付け人」というイメージ。
三沢の対ハンセン戦やスティーブ・ウィリアムス戦、後の対川田戦、小橋戦、田上戦。
三沢が死ぬんじゃないかというような強烈なラリアット、
バックドロップ、
投げっぱなしジャーマン、
垂直落下式ブレーンバスター、
超急角度のパワーボムを
何度も何度も食らいながらも立ち上がり、
最後にタイガー・ドライバーやタイガー・スープレックスで仕留める姿に、涙しながらプロレスを見ていました。
実況が「カウント2,9999!!!!」
と叫ぶほど試合を諦めない、
相手の必殺技をすべて受けきった上で、
最後の最後で勝つという王道プロレスでは、
永遠に相手が倒れないんじゃないかと思わせる時間帯があります。
「さすがに、もう限界だろう・・・」と誰もが思うようなフィニッシュホールドを食らっても、四天王は本当に何度も何度も立ち上がった。
四天王はみなゾンビのように立ち上がり、
技を出し尽くし、
死力を尽くして戦いますが、
三沢選手がそのなかで違っていたのは、
そのような極限状態で「究極の必殺技」を編み出す天才だったということです。
受け身の取れないタイガー・ドライバー(後に封印)を放ったり、一回転してエルボーを放ったり、小橋選手を花道からリング下にタイガー・スープレックスで投げたことも有りました。
あれは、極限状態の中でとっさに体が動く天才のなせる技なんだと思います。
そのような「究極の必殺技」を放つときは、
だいたい三沢選手自身も
「途中で思いついた」的なぎこちない動きをしてましたし、
相手選手も予想だにしない技に受け身が取れず、
そのまま試合終了ということが多かったと思います。
(ローリング・エルボーの初披露時が顕著でしたね・・・。)
そんな三沢選手は、人間的にも立派な人でした。
非常に義理・人情を重んじ、
誰からも信頼され、結構エロく、
歌が下手で、会社にコキ使われ、
満身創痍でもファンのためにリングに立ち続けました。
その懐の広さと器用さから、
プロレスリング・ノアの社長としても
非常に多忙な日々が続き、
プロレス人気が下火になる中で
看板選手として、社長として奮闘していました。
そんな人間的な魅力を兼ね備えた、
プロレスの天才。
僕のスーパースター。
たくさんの感動を、本当にありがとうございました。

対 田上

対 高山


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